ママンボウの子育て日記

ポケモンについて書きます

映画大好きポンポさんを見て

映画大好きポンポさんをだいぶ前に見たのだが、今更ながら感想などを書いてみようと思う。ネタバレしかないが個人的には今見に行ってない人一生見ないと思うので、これを見て興味だけでも持っていただきたく。

 

 

この作品は漫画が原作であり、原作を読んでとても面白かったので映画を見に行った。大体バトル漫画以外の漫画の映画化は尺の短さ等から、漫画を超えてくることはないと思っていたがこの作品は間違いなく映画のほうが面白いと思う。

 

 

映画であることによって作中で視聴者に見てほしいポイントを伝えることができるため、非常にわかりやすい作品を仕上げることができるからだ。ここから先は自分がどういう風にこの作品を解釈したかを記述していく。

 

 

原作では主人公ジーンがポンポさんに才能を見出されて、すんごい映画作品を作り出すという話ぐらいに捉えていたが(才能ある主人公が努力しまくって活躍する作品はすごく好き)、映画を見て全然違う話だったことに気付かされ、きちんと考えて読まないといけないなという気にさせられた。

 

 

この作品のポイントはどこかというと、ポンポさんが作中で放っていた言葉である「目の光」にあると思う。ポンポさん曰く女優はこの目の輝きが重要で、クリエイターは逆に目の輝きがないほうが自分の世界を作り出すことが出来るため、光のない目をしているほうが良いとのことである。この時点で私は陽キャ=目が輝いていて、陰キャ=目の輝いてないといった解釈をしていたのであるが、映画オリキャラのアラン(元陽キャジーンのクラスメイト、今は銀行員をしており、仕事に努力できずやめたいと感じている)の一言で解釈が変わる。アランは久しぶりに会ったジーンに向かってお前の目が輝いていると言い放つのだ。そう、この作品内での目が光っている人物とは陽キャなどではなく、好きな事に向かって全力でぶつかり続けている人間のことを指しているのだ。

 

 

では目が輝いていない人間(好きな事に注力できていない人間)は誰なのかということになるが、これがポンポさんである。親から見放され、祖父に半ば無理やり映画を見せられ、学校にも行かず、映画を作り続けたポンポさんの目が輝いているはずがないのだ。最高のクリエイターである彼女の経験から一番最初の発言は生まれたのだと考えられる。

 

 

ここで、ポンポさんと似たような境遇の人物が一人思い浮かばないだろうか?そう作中でジーンが製作する映画「MEISTER」のマーティンである。ジーンは音楽しかないマーティンとポンポさんを重ね合わせて、作中でマーティンが音楽を心の底から好きにすることによってポンポさんを救おうと考えたのである。

 

 

こうなると、ジーンが無理やりワンカットを撮影したことも重大な意味を持ってくる。このカットだけは、好きな事をやり続けたものにしか表現出来ないのであろう。

 

 

長々と解釈を連ねたが要するに、この作品は映画が好きではないポンポさんが大好きになれるような映画をジーンやナタリーが製作するといった話なのである。

 

 

これを読んで、へーと思った方は目に注目して、もう一度映画を見ていただきたい。また違った感想が生まれるかもしれない。作品のストーリー以外にもわざとらしいまでのわかりやすい表現や小気味の良いテンポなど見どころがたくさんあるので、これはぜひ映画館で鑑賞していただきたい。

 

感想を書くのは大変だったが、これからも漫画の感想などをたまに書いていきたい。よしなに。